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なぜ私が書きたがり、伝えたがりなのか、という話

今回、ブログみたいな形で書きたいな~と思ったときに思い出したこと。


2016年に私はサントリーホールの30周年記念、武満徹没後20年のコンサートに行った。

武満徹は日本を代表する現代クラシックの作曲家。


武満徹

当時の私はまだ武満徹の名前は知っていても、一曲をしっかり通しで聞いたことはなかった。コンサートを聴く前は「武満徹って現代クラシックだから寝ちゃうかなぁ」なんて思っていたほど。でもそんなことを思ったのも、つかの間。実際に聴いたらむしろ逆でまったく寝る暇はなかった。楽器が鳴らない中、指揮者が思いっきり指揮をしていたり、奏者がスコアをめくる音でさえ音楽として作られ、沈黙の音楽というものを初めて体験した。


初台のオペラシティにICCアートギャラリーがある。そこで以前、無音を体験する部屋に入ったことがある。そこで無音の世界を体験したとき、私の心臓の音や、呼吸の音、血液の流れる音、ほかにも何かもわからない音が耳に響いたことを思い出した。


私たちの世界には無音なんて存在しない。譜面に書き込まれないものも愛すべき音なのだと、そんな世界を音楽で武満から教えてもらった。私は武満に出会えたことに感謝したし、偉大な作曲家と同じ国に生まれたことを誇りに思った。


武満にまつわるエピソードで、武満が子供のとき、疎開先の兵士がこっそりフランスシャンソンの『Parlez-Moi D'Amour』のレコードを聴かせてくれたというエピソードがある。第二次世界大戦中は、敵国の音楽、ましてやシャンソンなんて、そんな浮かれた音楽はもっての外。そんな時代に、疎開先の兵士は何を思ったのだろう。子供たちにフランスシャンソンを聞かせたのだ。この曲を聴いた武満は有り得ないほど感動したという。その経験で武満は音楽家になることを決心したらしい。



私はこの話を思い出すと、武満のような天才的な音楽家にはなれなくても、この兵士のような人間になりたい、と思うのだ。


そんなこんなで、ゆっくりマイペースに書いていきます~(笑)

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